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安土桃山時代

河内キリシタンのイメージイラスト

キリシタン墓碑の写真

1573年(元亀四年)に織田信長が室町幕府十五代将軍足利義昭を京都から追放し、室町幕府は実質的に滅びました。織田信長の後は豊臣秀吉が権力をもち、戦国の世を終わらせました。

戦国時代に飯盛城で活躍した三好長慶の家臣には、当時流行したキリスト教の洗礼を受けた人が多く、長慶の死後も河内地方ではキリスト教(キリシタン)が栄えました。市内の田原では田原城主の菩提寺である千光寺跡の発掘調査でキリシタン墓碑が見つかりました。そこには「天正九年」(1581年)の銘があり、日本最古のキリシタン墓碑です。この墓碑には「礼幡」という人物名があり、当時の宣教師の文書にある田原城主「田原レイマン」のことと考えられ、墓碑の人物と文献の人物が一致する貴重な例です。

豊臣秀吉の後は徳川家康が江戸に幕府を開きました。徳川方と豊臣方の戦いとなった1615年(慶長二十年)の大坂夏の陣では、市内の忍ヶ岡丘陵に江戸幕府二代将軍徳川秀忠が陣を敷きました。

大坂夏の陣のイメージイラスト
大坂夏の陣で徳川秀忠が陣をはる様子