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今から1400年ほど前になると、朝鮮半島から伝えられた仏教が日本でも広まり、有力者たちは大きな古墳に代わって荘厳な寺院を建てるようになりました。
四條畷でも、白鳳文化が広まる飛鳥時代の後期(7世紀後半)ごろに、正法寺、讃良寺と相次いで寺が建てられました。
正法寺は、これまでの発掘調査で中門、塔、講堂などの存在が確認されています。また回廊の南西部分にあたると推定される位置の瓦だまりから創建時の鴟尾片が出土しています。当時は屋根には鴟尾がのり、瓦が葺かれていて、奈良にある薬師寺のように荘厳な寺であったと考えられています。
讃良寺は部分的に調査されていて、正法寺のものと同じ型を使って作られた瓦が出土しています。讃良寺のものは正法寺のものより擦り減った型を使っていたようで、讃良寺のものの方が後に作られたと考えられています。
正法寺跡で見つかった瓦
讃良寺跡で見つかった瓦