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足利尊氏が京都に開いた室町幕府は、三代将軍足利義満の代になって南北朝の統一に成功し、中国の明王朝と交易を行なって繁栄しました。しかし、八代将軍足利義政のころになると将軍の力が徐々に低下し、応仁の乱から戦国の世へと突入していくことになりました。
十三代将軍足利義輝の時代に、三好長慶が幕府の実権を握りました。長慶は四條畷市と大東市にまたがる飯盛山の頂上にあった飯盛城を拠点に、五畿内(大和、山城、河内、摂津、和泉)を中心として大きな影響力を持った戦国大名です。長慶が居城とした飯盛城は、南北約650メートル・東西約400メートルの規模を持つ近畿地方では最大級の山城で、もっとも初期に石垣を使い始めた城でした。三好長慶はこの城を拠点に政治を行ない、飯盛城は当時の日本の中心と言っても過言ではない場所でした。
飯盛城の周辺には、支城として機能したいくつかの城があり、田原地域にあった田原城もその一つでした。この時代、砂地域では16世紀に大将軍社が創建され、地域の信仰を集めました。
大将軍社跡で出土した和鏡