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35. 中野遺跡 その5

耳環がみつかった溝の写真

中野遺跡は、四條畷市中野本町から中野二丁目にかけて広がる遺跡で、弥生時代(約2500~1850年前)、古墳時代(約1850~1400年前)、平安時代(約1200~800年前)と中世(鎌倉時代~室町時代・約800~400年前)のムラのあとです。平成25年6月から9月にかけて、四條畷市役所の、国道163号を挟んだ南向かい側での宅地開発に伴って行った発掘調査で、弥生時代から中世にかけての建物の柱のあとや溝などムラの一部が見つかりました。その中で、当時の人が掘った幅6.8メートル以上、長さ10.1メートル以上、深さ約85センチメートルの大きさの溝から古墳時代の耳環(じかん)が出土しました。耳環は、耳たぶにつける輪のような耳飾りです。

中野遺跡出土の耳環の写真

見つかった耳環は直径2.1センチメートルの大きさで、表面に部分的に銀メッキが残っており、もともとは全体が銀色に輝いていたとみられます。出土した溝は中世(鎌倉時代~室町時代・約800~400年前)に作られたものでしたが、調査地の東側では古墳時代中期から後期(約1600~1400年前)にかけての古墳群(大上古墳群)が見つかっており、このような耳環も見つかっています。今回出土した耳環ももともと東側にあった古墳群の副葬品だったものが、後世に掘られた溝によって古墳が破壊され、調査地まで流されてきたのでしょう。

歴史民俗資料館では、ここで紹介した耳環を、平成27年5月16日(土曜日)~7月12日(日曜日)まで展示しています。ぜひ皆さまも歴史民俗資料館で、1500年前の人が身につけていたシルバーアクセサリーを見てみませんか。

広報四條畷 平成27年5月号掲載