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14. 中野遺跡出土(なかのいせきしゅつど) 2号井戸「應保二年」銘曲物(にごういどおうほにねんめいまげもの)

【考古資料第13号】

平成3年度に中野遺跡内における四條畷市役所東別館建設工事に伴う埋蔵文化財発掘調査により2号井戸から出土した曲物です。

井戸の形は、直径約3.3メートル・深さ約2.6メートルの穴の中に、長さ約1.3メートル(残存)・幅約15センチメートル・厚さ約0.5センチメートルの板材数十枚を一辺約1メートルの正方形に立て並べ、それらの押さえとして角材を支柱や横桟木(よこさんぎ)として組んだものです。

その井戸底の中央に集水施設(しゅうすいしせつ)の曲物を1基設置し、浄水装置(じょうすいそうち)としてその周囲に礫(れき)、曲物の内部に5個の平らな石を敷いていました。
この曲物はヒノキ材で、高さ23.0センチメートル・直径50.5センチメートル・厚さ0.5センチメートル、下端部に直径2ミリメートルの円孔(えんこう)が等間隔にあけられています。
その外面に縦書きで『如月(きさらぎ)廿日(はつか)應保二年』と墨書(ぼくしょ)されていました。
應保二年は1162年にあたり、平安時代末のものであることがわかりました。
井戸内からは、年号と同じ時期に該当する12世紀後半から13世紀初頭の土師皿(はじざら)・瓦器碗(がきわん)・須恵器練鉢(すえきねりばち)・青白磁合子蓋(せいはくじごうすふた)・砥石(といし)などが出土しています。
市内で確認している井戸施設のうち、年号が記されている貴重な資料です。

地図

中野遺跡で出土した應保二年銘曲物