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22. 中野遺跡 その3

木簡写真

今回は、このシリーズの『(13)中野遺跡』に掲載しました発掘調査について、最近分かった新しい研究成果についてお話ししたいと思います。
中野遺跡(なかのいせき)は、中野本町から中野二丁目にかけて広がる遺跡で、古墳時代(約1750から1400年前)と中世(鎌倉時代から室町時代・約800から400年前)のムラのあとです。
平成24年1月から2月にかけて、四條畷郵便局の西隣での宅地開発に伴って行った発掘調査で、平安時代終わりごろから鎌倉時代初めごろ(約800年前)の時期の建物の柱のあとや溝などムラの一部が見つかりました。
その中で当時の人が掘った6×5.5メートル以上の大きさの穴から木簡が出土しました。
先日、国立文化財機構奈良文化財研究所で木簡の赤外線撮影を行った結果、木簡には「延任」という人名と、その人のサイン(花押かおう)が書かれていることがわかりました。
歴史民俗資料館では、ここで紹介した木簡を含め出土した資料の一部を、平成25年7月13日(土曜日)から9月1日(日曜日)まで展示しています。
皆さんも、歴史民俗資料館で実際の木簡に書かれた約800年前の文字と赤外線写真に写しだされた文字を見比べてみて、これを書いた人物について考えてみませんか?

広報四條畷 平成25年7月号掲載

13.中野遺跡