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55. 忍岡古墳を支えた集落群

忍岡古墳(しのぶがおかこふん)は、四條畷市岡山二丁目に所在する墳長(ふんちょう)約87mの前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。昭和10年の京都大学による調査で竪穴式石室(たてあなしきせきしつ)(石槨(せっかく))から碧玉製(へきぎょくせい)の紡錘車(ぼうすいしゃ)、石釧(いしくしろ)、鍬形石(くわがたいし)や、鉄製の冑(かぶと)の破片、剣、刀、鎌、斧などがみつかったことから、古墳時代前期中頃(3世紀末~4世紀初頭)の古墳と考えられています。

 忍岡古墳に葬られた有力者の勢力圏は、同時期の遺跡の存在から推定できます。中心となったのは古墳周辺に存在する寝屋川市小路遺跡(しょうじいせき)や四條畷市讃良郡条里遺跡(さらぐんじょうりいせき)などの集落です。これ以外に、市域では古墳の南東500mの岡山南遺跡(おかやまみなみいせき)や南に1km離れた南野米崎遺跡(みなみのこめざきいせき)で集落がみつかっています。岡山南遺跡では溝から土器がまとまって出土しており、まじないなどで利用されたのでしょう。市外の遺跡を含め集落の広がりを検討すると、寝屋川市北木田遺跡(きたきだいせき)のある京阪寝屋川市駅付近から、大東市北新町遺跡(きたしんまちいせき)のあるJR四条畷駅付近までは確実に勢力圏に含まれるとみなすことができます。忍岡古墳に葬られた有力者は、この地域に強固な基盤をもっていたといえるでしょう。

歴史民俗資料館では、平成30年12月9日(日曜日)まで、「卑弥呼、ヤマト王権と北河内―弥生時代末から古墳時代前期の集落と墳墓―」と題して特別展を開催しています。特別展では、京都大学保管の忍岡古墳出土資料の一部が里帰りするほか、各遺跡でみつかった資料や、三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)の実物などをみることができます。ぜひ皆さまも歴史民俗資料館で、忍岡古墳やそれに関係する集落の貴重な資料をご覧ください。

岡山南遺跡発掘調査の写真岡山南遺跡でみつかった土器の写真

   図1 岡山南遺跡の全景       図2 岡山南遺跡でみつかった土器