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53. 忍岡古墳と小路遺跡

忍(しのぶ)岡(がおか)古墳(こふん)は、忍ヶ岡(しのぶがおか)丘陵の先端に位置する墳(ふん)長(ちょう)約87mの前方後円墳です。昭和10年に忍(しのぶ)陵(がおか)神社社殿の再建に伴い竪穴(たてあな)式(しき)石室(せきしつ)(石槨(せっかく))が発見され、碧玉製(へきぎょくせい)の紡錘車(ぼうすいしゃ)、石釧(いしくしろ)、鍬形(くわがた)石(いし)や、鉄製の冑(かぶと)の破片、剣、刀、鎌、斧などがみつかりました。埴輪(はにわ)も少量みつかっており、それらから古墳時代前期中頃(3世紀末~4世紀初頭)の古墳と考えられています。分析により石室(石槨)の石にはベンガラ、石製品には水銀朱の付着が判明しました。

これまで忍岡古墳の周辺では、それに前後する時期の首長(しゅちょう)墓(ぼ)級の古墳がみつかっておらず、単独で存在すると考えられてきましたが、近年の調査で新たな発見がありました。寝屋川市の小路(しょうじ)遺跡(いせき)では第二京阪道路建設に伴う2002年の調査で墳長22.7mの前方後(ぜんぽうこう)方形(ほうけい)の墓がみつかりました。埋葬施設はすでに削られておりみつかりませんでしたが、周溝でみつかった土器から弥生時代末~古墳時代初頭(3世紀前半)の墓とみられています。この調査で忍岡古墳の周辺にそれより以前にも一定の力を持った権力者がいた可能性があることがはじめてわかりました。忍岡古墳は、小路遺跡の次世代もしくは次々世代の首長の墓である可能性があります。

歴史民俗資料館では、平成30年10月2日(火曜日)から12月9日(日曜日)まで、「卑弥呼、ヤマト王権と北河内―弥生時代末から古墳時代前期の集落と墳墓―」と題して特別展を開催します。特別展では、現在京都大学が保管する忍岡古墳出土資料の一部が里帰りするほか、小路遺跡の前方後方形の墓でみつかった資料などをみることができます。ぜひ皆さまも歴史民俗資料館で、忍岡古墳でみつかった通常非公開の貴重な資料をご覧ください。

広報四條畷LIFE 平成30年9月号掲載

忍岡古墳の円形写真
忍岡古墳の遠景