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54. 忍岡古墳と小路遺跡 その2

 四條畷市岡山二丁目に所在する忍(しのぶ)岡(がおか)古墳(こふん)は、墳(ふん)長(ちょう)約87mの前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。昭和9年の室戸台風で倒壊した忍(しのぶ)陵(がおか)神社社殿の再建に伴い、昭和10年に竪穴(たてあな)式(しき)石室(せきしつ)(石槨(せっかく))がみつかり、現在も地域の熱意で現地に保存されています。石室(せきしつ)(石槨(せっかく))からは碧玉製(へきぎょくせい)の紡錘車(ぼうすいしゃ)、石釧(いしくしろ)、鍬形(くわがた)石(いし)や、鉄製の冑(かぶと)の破片、剣、刀、鎌、斧などがみつかり、墳(ふん)丘(きゅう)からは埴輪(はにわ)が出土しており、それらから古墳時代前期中頃(3世紀末~4世紀初頭)の古墳と考えられています。

 忍岡古墳の周辺では、同時期の集落がみつかっていませんでしたが、近年の調査で、それが存在したことがわかってきました。古墳の北西約500mの位置にある寝屋川市の小路(しょうじ)遺跡(いせき)では、2015年からの区画整理に伴う調査で弥生時代末~古墳時代前期(3世紀前半~4世紀)の集落が発見されています。古墳より少し早い時期から集落が発展し、大型の竪穴(たてあな)建物(たてもの)の存在や、東海から山陰までの各地域の土器が持ち込まれていることから、人が集まる有力な拠点(きょてん)集落(しゅうらく)だったことがわかりました。川の跡からは、忍岡古墳と同時期の埴輪もみつかっています。

 歴史民俗資料館では、平成30年12月9日(日曜日)まで、「卑弥呼(ひみこ)、ヤマト王権と北河内―弥生時代末から古墳時代前期の集落と墳墓(ふんぼ)―」と題して特別展を開催しています。特別展では、京都大学保管の忍岡古墳出土資料の一部が里帰りするほか、小路遺跡でみつかった最新の資料などがみられます。ぜひ皆さまも歴史民俗資料館で、忍岡古墳やそれに関係する集落の貴重な資料をご覧ください。

広報四條畷LIFE 平成30年10月号掲載

小路遺跡と忍岡古墳の遠景写真
小路遺跡(手前)と忍岡古墳(左奥の森)
寝屋川市教育委員会提供