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46. 飯盛城跡 その4

飯盛城石垣調査の様子

 飯盛城跡(いいもりじょうあと)は、飯盛山の山頂に四條畷市と大東市にまたがって存在する中世の山城跡です。その規模は南北約650メートル・東西約400メートルを測り、近畿地方では最大級のものです。城内には、多くの曲輪(くるわ)や堀切(ほりきり)・土橋(どばし)といった場所が良好な状態で残っています。この山城は石垣が多くの曲輪で用いられていることが特徴です。これらの石垣は自然石をほぼ垂直に積み上げており、なかには数段にわたって築いているものもあります。石垣を多用した城としては織田信長が築いた安土城に先駆ける貴重なものです。
 戦国時代に三好長慶(みよしながよし)が居城としたことで知られ、長慶は1560年に入城したこの城を拠点に畿内と四国の一帯を支配し、室町幕府の政治を動かしました。近年織田信長に先駆ける天下人として評価されています。
 四條畷市教育委員会では、大東市教育委員会とともに国史跡指定をめざして飯盛城跡の本格的な調査に入りました。四條畷市側の調査地区ではこの貴重な石垣の詳細な記録を残すため、石垣の清掃を行ない、石垣の基礎を確認する小さなトレンチを入れたのち、三次元の技術を使い詳細な図面を作成しています。これにより地図上での位置と石垣の規模や構造を記録することができます。これは城郭に用いられた最も初期の石垣がどのような技術で築かれたのかを知る上で重要な調査で、平成29年度以降も続けて行なっていく予定です。

広報四條畷 平成29年3月号掲載