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41. 飯盛城跡 その3

飯盛城跡 遠景

この文化財シリーズで過去に2回ご紹介しました飯盛城跡(いいもりじょうあと)について、これまでは平地に築かれた大阪城などの平城と区別するために「飯盛山城跡」と呼称していましたが、今後大東市と伴に国の史跡指定を受けるための事業を進めていくにあたり、城の名称を古文書に記されている「飯盛城」と統一しました。

この城は、三好長慶が戦国時代末期の永禄3年11月(1560年)に入城した際に大改修を行ったと考えられており、彼はこの城を拠点として近畿と四国の一部を統治しました。現在も当時のものと考えられる曲輪跡や堀切跡・石垣などが各所に良好な状態で残存しています。

そこで本市と大東市は、この全国的にも貴重な歴史遺産をより良好な状態で後世に受け継いでいくために保存し、またその後に整備し活用することにより全国に城の情報を発信して多くの人に訪れていただくため、有識者による「飯盛城跡の調査研究に関する専門委員会」を設置し、その指導のもと国の史跡指定を受けることを目標として平成28年度から本格的に城の範囲や構造などを明らかにすることを目的として事業を進めていきます。

飯盛城の堀切の写真
飯盛城の堀切

広報四條畷 平成28年3月号掲載