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21. 飯盛城跡

飯盛山石垣写真

飯盛城跡は、飯盛山の山頂付近に四條畷市と大東市にまたがって存在する中世の山城跡です。
戦国時代に三好長慶(みよしながよし)が居城としたことで知られ、長慶はこの城を拠点に畿内と四国の一帯を支配し、室町幕府の政治を動かしました。

現在四條畷市教育委員会では、大東市教育委員会と合同で飯盛城跡に残る石垣の現状調査を行っています。
飯盛城が造られた頃の城は、石垣は使わず、土を削ったり盛ったりして作るのが普通でした。

飯盛山写真

飯盛城はもっとも初期に石垣を使い始めた城で、後の時代の城のように石垣の上に直接建物が乗るのではなく、石垣は城を作るために盛った土の押さえであった可能性があり、城の威容(いよう)を示すためのものだったのではないかと考えられています。
石垣は城の全体に貼り巡らされていたわけではなく、一部分にだけ存在していました。調査の結果、飯盛城跡には多くの箇所に当時の石垣が残っていることが分かりました。石垣は城の西側(大阪平野側)より東側(奈良側)に多くあり、当時東側が城の正面と見られていた可能性が出てきました。この石垣調査の直後に、石垣の石が抜き取られ破壊されていたことがわかりました。飯盛城跡は地域の大切な文化財であり、その保護・保存にご協力いただけますようお願いいたします。
石垣の調査は、時には森の中に分け入りながら進めなければなりません。そのため、調査は主に秋の終わりから春のはじめにかけての下草が枯れている時期に行います。
四條畷市教育委員会では、今後も石垣の調査を続けていく予定です。

広報四條畷 平成25年5月号掲載