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70.田原城跡(大字上田原所在)

ページID:0074001 更新日:2024年7月16日更新 印刷ページ表示

古くから地元の人たちが大切に守ってきた田原城跡。

その本郭(ほんかく)(本丸)部分と看板などを令和5年度に所有者様から市にご寄付いただきました。

田原城跡は、生駒山系から東へ延びる標高174.2mの尾根の先端に所在し、城主は鎌倉時代頃から田原地域の国人領主であった田原氏。戦国時代末期に三好長慶(みよしながよし)の飯盛城入城でその家臣となり、城は飯盛城の東を固める支城であったと考えています。城跡には、本郭のほか堀切(ほりきり)などの遺構(いこう)が現存しています。また城跡の北方には、田原城主田原対馬守(たわらつしまのかみ)の墓と伝わる五輪塔(ごりんとう)が現存し、発掘調査で城主の菩提寺と墓地であった千光寺跡(せんこうじあと)を発見しました。そこからは十字架の下に「天正九年 辛巳(かのとみ) 礼幡(れいまん) 八月七日」と刻まれた日本最古のキリシタン墓碑が出土しました。この墓碑の人物は、三好長慶がキリスト教布教と保護を命じたことを契機として広まった「河内キリシタン」のひとりである「田原レイマン」で、飯盛城廃城とともに役目を終えた田原城の最後の城主と考えられます。

このように田原城跡は本市にとって大変貴重な遺跡であることから、将来にわたって適切に保存しながら、関連性が深い国史跡飯盛城跡などとの文化財ネットワークを構築して情報発信してまいります。

 

田原城跡(空撮)

田原城跡(東から)

 

広報四條畷LIFE 令和6年7月号掲載​​