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56. 弥生時代の方形周溝墓

日本列島で稲作が行われるようになった弥生時代には、周りに溝を掘りその土を中央に方形に積み上げる集団墓地、すなわち方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)が作られました。市内の雁屋遺跡(かりやいせき)で多く発見されており、それらからは20基以上の木棺墓(もっかんぼ)がみつかっています。中には葬られた人の胸から腹にかけての位置で10本以上の矢じりが出土したものもありました。これら弥生時代の墓は鎌田遺跡(かまだいせき)や蔀屋北遺跡(しとみやきたいせき)などでもみつかっています。

平成25年には、宅地開発に伴って中野遺跡(なかのいせき)の発掘調査を行い、方形周溝墓の一部とみられる溝が新たに確認できました。これまでは明確な弥生時代の遺構は検出されていませんが、弥生時代の土地利用が中野遺跡まで広がることを初めて明らかにでき、当時の墓地が広がっている可能性についてもわかりました。

こういった資料は市外からも関心が寄せられており、雁屋遺跡の矢じりなどは平成31年1月19日(土曜日)から3月31日(日曜日)に大阪府立弥生文化博物館の展示会で、中野遺跡の資料は平成31年1月19日(土曜日)から3月17日(日曜日)に大阪府立近つ飛鳥博物館の展示会で展示されます。教育委員会では、市外での展示会へ積極的に資料を出品することで情報発信に努めています。
雁屋遺跡の方形周溝墓の写真雁屋遺跡の木棺と矢じりの写真中野遺跡でみつかった土器の写真
図1 雁屋遺跡の方形周溝墓  図2 雁屋遺跡の木棺と矢じり  図3 中野遺跡で見つかった土器