ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

49. 正法寺跡

正法寺講堂跡の調査写真
正法寺の創建時講堂跡の掘立柱の列

正法寺の瓦
ハスの花を表現した瓦

四條畷市中野本町にある正法寺(しょうほうじ)は、江戸時代の元和(げんな)8年(1622年)まで大字清瀧の小字「正法寺」が残る清滝丘陵の高台にありました。昭和44年以降の発掘調査で、この正法寺は飛鳥時代後期(白鳳(はくほう)期:7世紀後半)創建と判明しました。創建時の建物は礎石(そせき)建物の中門(ちゅうもん)、石積みを伴う東塔、掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)の講堂(こうどう)などが調査されています。建物には瓦が葺(ふ)かれていたようで、発掘調査ではハスの花が表現された瓦が多くみつかっています。平安時代のもので寺名が書かれた墨書土器もみつかりました。後につけられた山号の「小野山(おのさん)」から、日本書紀などの文献にも載る、この地域で馬飼いを指導した渡来系(とらいけい)の古代豪族である宇努(うの)氏との関連が想定されています。この宇努氏は、その名が共通する持統天皇(鸕野讃良皇女:うののさららのひめみこ)と何らかのかかわりがあった可能性があります。

歴史民俗資料館では、平成29年10月3日(火曜日)から12月10日(日曜日)まで、「鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)―持統天皇と北河内の飛鳥・奈良時代―」と題して特別展を開催します。特別展では、今回紹介した正法寺の資料をはじめ、当時の寺院やまつりに関係する資料、持統天皇が夫である天武天皇とともに葬られた野口王墓古墳(天武・持統天皇陵)の資料などを展示します。ぜひ皆さまも歴史民俗資料館で、昔の寺院と豪族、そして持統天皇の関係について考えてみてください。

広報四條畷LIFE 平成29年10月号掲載

48.持統天皇と四條畷