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48. 持統天皇と四條畷

第41代天皇である持統天皇は、四條畷とかかわりの深い天皇でした。天皇は名を鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)といいます。このうち「讃良」は、四條畷市全域と寝屋川市・大東市の各一部を含む古代「讃良(さらら)郡」の地名からとられたものです。また、「鸕野」も、『日本書紀』によれば讃良郡の中にある地名として「鸕鷀野邑(うののさと)」が出てきます。この地名は、市内の清滝にあった古代寺院正法寺にのちにつけられた山号が「小野山(おのさん)」であることなどから、現在の四條畷市域の一部を指すのではないかといわれています。

このように地名を皇族の名に使う場合、その地で生まれ育ったか、領地をもっていたか、その地出身の豪族から乳母が出たためその豪族に養育されたといった理由が考えられると言います。いずれにしても、持統天皇の名には四條畷市域のこととみられる地名が使われており、四條畷とゆかりの深い天皇だったと言えるでしょう。

歴史民俗資料館では、平成29年10月3日(火曜日)から12月10日(日曜日)まで、「鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)―持統天皇と北河内の飛鳥・奈良時代―」と題して特別展を開催します。特別展では、持統天皇が夫である天武天皇とともに葬られた野口王墓古墳(天武・持統天皇陵)が昭和30年代に調査された際の貴重な写真をはじめ、当時の寺院やまつりに関係する資料などを展示します。ぜひ皆さまも歴史民俗資料館で、持統天皇と四條畷のかかわりについて思いを馳せてみませんか。

持統天皇のイラスト
持統八年(694年)、讃良郡の官吏から白いヤマドリの献上を受ける持統天皇

広報四條畷 平成29年9月号掲載