ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

65. 飯盛城跡 その11

飯盛城跡は、四條畷市と大東市にまたがる飯盛山の山頂にあり、戦国時代に三好長慶が居城としたことで知られます。令和3年10月11日に国史跡に指定されました。

御体塚(ごたいづか)と呼ばれる曲輪の発掘調査では、石組み基礎構造の建物の一部を確認し、その東で類例の少ない台付皿がみつかりました。奈良市春日大社では、「ごんぱい」と称する台付皿が中世から現代まで、お供えを盛ったり灯明器として使われたりしており、周辺の人々はそれを再利用したといいます。奈良市内から飯盛城までは18キロメートル程で、長慶の家臣松永久秀が1561年に多聞城(たもんじょう)に入城し活発な行き来があったとみられ、両者の関連が想定できます。この曲輪は宗教的な空間で、石組み基礎の建物は神社社殿など特殊なものだったのかもしれません。

歴史民俗資料館では、三好長慶生誕500周年記念プレイベントとして、「「天下の支配者」三好殿―考古学からみた天下人三好長慶の軌跡と飯盛城―」と題した特別展を令和3年12月12日(日曜日)まで開催中です。今回紹介した特殊な資料から、460年前の城のようすを思い浮かべてみてください。

 

※特別展終了後、令和3年12月13日(月曜日)から令和4年1月4日(火曜日)まで、展示替えのため休館します。

飯盛城跡出土の台付皿写真

図1 飯盛城跡出土の台付皿

現代の「ごんぱい」(個人蔵)

図2 現代の「ごんぱい」(個人蔵)