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飯盛城跡は、四條畷市と大東市にまたがる飯盛山の山頂にあり、戦国時代に三好長慶が居城としたことで知られます。彼はこの城を拠点に室町幕府の政治を動かし、近年、織田信長に先駆けての天下人として評価されています。
大阪府立四條畷高等学校の地歴考古学クラブは、昭和30~40年代に精力的に飯盛城跡の調査研究を行い、その成果は部誌にまとめられ、学会にも報告されました。その大きな成果は、縄張の配置を図面とともに報告したことで、以後の研究の礎となりました。昭和 42 年5月と12月には「東の丸一の曲輪」で発掘調査を実施し、翌年に報告書をガリ版刷りで刊行しました。調査写真、日誌、出土遺物の一部が現在も同校社会科教室に保管され、内容を知ることができます。調査は、土層を細分し、測量により調査地区や遺物出土位置を記録するという、学生主体でありながらたいへん高い精度で行われました。
歴史民俗資料館では、三好長慶生誕500周年記念プレイベントとして、「「天下の支配者」三好殿―考古学からみた天下人三好長慶の軌跡と飯盛城―」と題した特別展を令和3年12月12日(日曜日)まで開催中です。今回紹介した初公開の資料から、50年以上前の高校生たちが開いた研究の扉を再びのぞいてみませんか。
図1 クラブによる飯盛城関係刊行物(大阪府立四條畷高等学校蔵(中央)、個人蔵(左右))
図2 発掘調査の様子(1967年12月・大阪府立四條畷高等学校提供)