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63. 飯盛城跡 その9

飯盛城跡は、四條畷市と大東市にまたがる飯盛山の山頂にあり、戦国時代に三好長慶が居城としたことで知られます。彼はこの城を拠点に室町幕府の政治を動かし、近年、織田信長に先駆けての天下人として評価されています。令和3年6月18日(金曜日)に開催された国の文化審議会では、飯盛城跡を国史跡に指定するよう文部科学大臣に答申がありました。

四條畷市南野の用水組合に伝えられ、現在教育委員会で寄贈を受け保管している古文書群に、飯盛城跡が描かれた絵図が三種あります。これらはいずれも、南野村と、隣接する大東市域の北条村が、江戸時代に農業用水配分の取り決めなどを行った際、その覚えとして作成されたものです。どの絵図にも、山の頂部を平坦にした曲輪と、それを取り巻く石垣が壮大に描かれていて、一見して城跡とわかります。これまでは単純に城跡の「イメージ」として石垣を描いたものと考えられてきましたが、城内の調査を進めた結果、飯盛城には大規模な石垣が広い範囲で築かれていたことが判明し、当時山麓から確認できた城跡の姿を念頭に置いて作成された可能性があることが新たにわかってきました。

歴史民俗資料館では、三好長慶生誕500周年記念プレイベントの一つとして、令和3年10月5日(火曜日)から12月12日(日曜日)まで、「「天下の支配者」三好殿―考古学からみた天下人三好長慶の軌跡と飯盛城―」と題した特別展を開催します。特別展では、今回紹介した絵図も含め、三好長慶ゆかりの城や、飯盛城にかんする資料を展示しています。ぜひ歴史民俗資料館で、飯盛城から三好長慶が見据えた天下に思いを馳せてみませんか。

広報四條畷LIFE 令和3年9月号掲載

元禄元年水論御裁許絵図

図1 元禄元年(1688)水論御裁許絵図(部分)

 

宝暦四年南野村北条村立会絵図

図2 宝暦四年(1754)南野村北条村立会絵図(部分)

 

天明五年山検地地図

図3 天明五年(1785)山検地地図(部分)