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62. 古墳時代後期の大型前方後円墳 墓ノ堂古墳

墓ノ堂古墳(はかのどうこふん)は、中野一丁目に所在する前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。約1500年前の古墳時代後期初めに造られました。現在、中野共同墓地となり小高い高まりが残るのみですが、赤色立体地図(せきしょくりったいちず)などから検討を行い、造られた当時は墳丘長(ふんきゅうちょう:古墳の本体)約70m、周堤(しゅうてい:古墳を囲む堤)まで含めると全長約98mで、この時期では北・中河内地域最大の古墳とわかりました。

過去に行った立会調査(たちあいちょうさ)でみつかった埴輪を再整理した結果、多くが東側周堤に立て並べられていたもので、円筒埴輪(えんとうはにわ)のほか、人物・武人・馬・蓋(きぬがさ:貴人が使用した傘)・家・大刀(たち)などの形をした多彩なものであることが判明しました。このことから、墓ノ堂古墳では、高槻市の真の継体天皇陵(けいたいてんのうりょう)ともいわれる今城塚古墳(いましろづかこふん)のように、周堤部分で多彩な形象埴輪(けいしょうはにわ)を用いた“まつり”が執り行われていたのかもしれません。さらに特筆すべきことは、四條畷市では初めて明らかとなった大刀形埴輪(たちがたはにわ)の存在です。大刀形埴輪は、近畿地方では十数例のみで、大変珍しい埴輪です。

歴史民俗資料館では、令和3年3月16日(火曜日)から9月12日(日曜日)まで速報展を開催します。速報展では、明らかとなった墓ノ堂古墳を紹介するとともに、埴輪を展示します。ぜひ初公開の資料をみながら、北・中河内地域最大の墓ノ堂古墳に誰が埋葬されたか思いをはせてみてください。

広報四條畷LIFE 令和3年3月号掲載

墓ノ堂古墳赤色立体地図

図1 墓ノ堂古墳赤色立体地図

 

墓ノ堂古墳でみつかった大刀形埴輪

図2 墓ノ堂古墳でみつかった大刀形埴輪

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