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南北朝時代の武将楠正行(くすのきまさつら)の家臣和田賢秀(わだけんしゅう)の墓所で、賢秀討ち死の地と伝えられています。賢秀は勇将として知られていました。
正平三年(1348年)の四條畷の戦いの際、正行が討ち死した後も一人で敵将高師直(こうのもろなお)の首を討とうとしましたが果たせず、敵に首をはねられました。地元ではこの首が敵の喉に、あるいは鎧に噛みついて離れなかったと言われています。
あるとき地元の人が歯痛で苦しんだ折にこの賢秀の墓所で祈願したところ治ったことから、賢秀は「歯神さん」と呼ばれて厚い信仰を受け今日に至っています。
墓所には天保二年(1831年)につくられた位牌型の墓石が建立されています。
交通:JR学研都市線四条畷駅下車北東へ徒歩10分
コミュニティバス・京阪バス・近鉄バス塚脇停留所下車すぐ
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