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50. 讃良寺跡

讃良寺でみつかった瓦

讃良寺跡でみつかった瓦
奈良文化財研究所撮影

四條畷市内に存在した古代寺院の一つ、讃良寺(さらでら)は、四條畷市北部の忍ヶ岡(しのぶがおか)丘陵先端、現在の讃良川両岸の台地上にありました。讃良川は幾度か流れを変え現在は讃良寺(さらでら)の伽藍(がらん)が存在したとみられる位置の一部を流れているため伽藍の配置は不明な点が多いですが、昭和44(1969)年の発掘調査で暗渠(あんきょ)の可能性がある瓦敷きなどがみつかりました。平成9(1997)年の調査では、正法寺と同じ型を使った瓦がみつかり、讃良寺のものが型の磨耗が著しく、後で作られた瓦であることがわかりました。この瓦などから7世紀後半(飛鳥時代後期)の創建と考えられています。

讃良(さらら)郡(ぐん)の郡名を冠することから郡寺としての役割や、馬飼いを行なった古代豪族である佐良々(さらら)氏との関連が想定されています。この佐良々氏は、その名が共通する持統天皇(鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ))と何らかのかかわりがあった可能性が考えられます。

歴史民俗資料館では、平成29年12月10日(日曜日)まで、「鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)―持統天皇と北河内の飛鳥・奈良時代―」と題して特別展を開催しています。特別展では、今回紹介した讃良寺の資料をはじめ、当時の寺院やまつりに関係する資料、持統天皇が夫である天武天皇とともに葬られた野口王墓古墳(天武・持統天皇陵)の資料などを展示しています。ぜひ皆さまも歴史民俗資料館で、昔の寺院と豪族、そして持統天皇の関係について考えてみてください。

広報四條畷LIFE 平成29年11月号掲載