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44. 縄文人の交流2 水銀朱を塗った耳飾り

水銀朱を塗った耳飾りの写真

寝屋川市讃良川遺跡の耳飾り
寝屋川市教育委員会蔵(寝屋川市指定有形文化財)・奈良文化財研究所撮影

あざやかな赤い顔料である水銀朱は、辰砂(しんしゃ)という岩石をすりつぶしてつくられます。そのすりつぶす道具がみつかった奈良県川上村にある宮の平遺跡(みやのたいらいせき)の年代から、水銀朱は縄文時代中期のおわりごろ(およそ4500年前)に利用されはじめたと考えられています。

四條畷市との市境を流れる讃良川のほとりにある、寝屋川市の讃良川遺跡(さらがわいせき)でみつかったピアスのようにして使う耳飾り(耳栓:じせん)には、2点に赤い顔料が塗られていました。それを奈良文化財研究所で分析したところ、水銀朱だったことがわかりました。耳飾りは縄文時代中期から後期の層からみつかっていて、同じ層からみつかった土器のほとんどは中期の土器でした。仮にこれが縄文中期のものなら、最古の水銀朱使用例となります。

辰砂は、大阪付近では奈良県南部や三重県、徳島県で採れます。讃良川遺跡の水銀朱は、これらの地域から交流によりもたらされたのでしょう。縄文時代後期のものですが、讃良川遺跡の隣の四條畷市更良岡山遺跡(さらおかやまいせき)では、水銀朱を運ぶのに使った土器もみつかっています。

歴史民俗資料館では、平成28年10月4日(火曜日)から12月18日(日曜日)まで、「ヒスイのきらめき―北河内からみた交流と縄文のまつり―」と題して特別展を開催しています。特別展では、今回紹介した讃良川遺跡や宮の平遺跡の水銀朱関連品をはじめ、縄文人の交流を示す資料や、まつりに関係する資料などを展示します。ぜひ皆さまも歴史民俗資料館へ、日本最古かもしれない朱色のピアスをみにきてください。

広報四條畷 平成28年10月号掲載

歴史民俗資料館