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51. 飯盛城跡 その6

飯盛(いいもり)城跡(じょうあと)は、四條畷市と大東市にまたがる飯盛山の山頂にあり、戦国時代に三好(みよし)長慶(ながよし)が居城(きょじょう)としたことで知られます。長慶は、この城を拠点に室町幕府の政治を動かし、近年、織田信長に先駆けての天下人として評価されています。

1564年(永禄7年)、長慶は42歳で没しました。その死は3年の間秘められ、城内の御体塚(ごたいづか)曲(くる)輪(わ)に仮埋葬されたと伝えられます。

平成30年2月から3月にかけて、四條畷市教育委員会は大東市教育委員会とともに飯盛城の本格的な調査を行い、四條畷側では御体塚曲輪を発掘しました。3×3mの小さなトレンチでしたが多くの土器とともに、銅(どう)銭(せん)、中国製の高級磁器(じき)、建物に使われた瓦、塼(せん)(レンガ)、壁土(かべつち)、鉄釘などがみつかりました。これらから、御体塚曲輪には何らかの建物があった可能性が高くなりました。みつかった土器のなかには、この時代に類例のない台付きの灯明(とうみょう)皿(ざら)があり、特殊な用途が想定されます。建物の規模や性格については、今後の調査、研究で明らかにしていく予定です。

歴史民俗資料館では、平成30年5月15日(火曜日)から、「飯盛城跡調査速報展2018」を開催しています。展示では、今回紹介した御体塚曲輪でみつかった銅銭や建物の瓦などをみることができます。7月8日(日曜日)まで前期の展示を、展示替えを挟んで10日(火曜日)から9月9日(日曜日)まで後期の展示を行います。ぜひ皆さまも歴史民俗資料館で、飯盛城にどんな建物が立っていたのか考えてみてください。

広報四條畷LIFE 平成30年5月号掲載

飯盛城御体塚発掘調査の写真

図1 御体塚曲輪調査地区

銅銭の写真

図2 銅銭「皇宋通宝」

土器の写真

図3 みつかった土器