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61. 拠点集落雁屋遺跡の変遷3 弥生時代後期

雁屋遺跡(かりやいせき)は、雁屋南町(かりやみなみまち)、雁屋北町(かりやきたまち)、江瀬美町(えせびちょう)、美田町(みたちょう)にあり、弥生時代(約2500~1750年前)のはじめから終わりまで続く、北河内地域の拠点となるムラです。

弥生時代後期の雁屋遺跡は、中期からの繁栄が続き、居住域が直径300mほどの範囲に広がる大集落に発展します。居住域の南側は複数の同一方向の溝により区画し、その外側に墓域がありました。1985年度の病院建設による調査では、墓の周囲の溝から、供えた土器が多くみつかっています。山陰や北近畿のものが含まれていたため、広範囲に交流を行っていたことがわかり、この遺跡が様々な地域の人々が行き交う拠点だったことを示しています。

歴史民俗資料館では、令和元年12月8日(日曜日)まで、「重要拠点KARIYA―雁屋遺跡弥生時代拠点集落の変遷―」と題しての特別展を開催し、雁屋遺跡の拠点機能を読み取れる資料を多く展示しています。ぜひ歴史民俗資料館で、雁屋遺跡の繁栄を感じてください。

広報四條畷LIFE 令和元年11月号掲載

雁屋遺跡円形周溝墓

図1 他地域の土器を供えた周溝墓

 

円形周溝墓で見つかった土器

図2 周溝内でみつかった土器