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37. 讃良(さらら)の牧(まき)

古代河内湖の地図

古墳時代の中期から後期(約1600から1400年前)にかけて、現在の四條畷市と寝屋川市・大東市の一部にあたる讃良(さらら)地域では渡来人が伝えた馬飼いが盛んに行われました。

四條畷市域は、飯盛山を含む生駒山系の谷間から讃良川・岡部川・清滝川・江蝉川・権現川などの川が西に向かって流れ出ています。現在は寝屋川に注いでいますが、古墳時代には現在の大阪平野の大半を覆う「河内湖」に流れ込んでいました(左の図参照)。

馬飼いは四條畷では平野地域ほぼ全域で行われており、河内湖から生駒山系へと続く標高差のある地形の中で、最も低い土地に馬を陸揚げする港とそれに伴う集落(むら)が営まれました。集落および祭祀(おまつり)域はやや標高の高くなった平坦地に営まれ、山裾の高所部に墓所である古墳群が造られました。高低差のある地形は馬の足腰を鍛えるのに役立ち、湖や川は天然の柵となって、この地域は牧場(まきば)に適した土地でした(下の図参照)。

四條畷の地形模式図

木曽馬の写真

四條畷で育てられた馬は、現在のサラブレッドのような馬ではなく、体高120cmほどで足腰のがっしりした、木曽馬(右の写真)のような蒙古系(もうこけい)の馬でした。

歴史民俗資料館では、平成27年10月6日(火曜日)から12月13日(日曜日)まで、「馬のいななきと王の光―継体天皇と河内の馬飼い―」と題して特別展を開催します。特別展では、今回紹介したように讃良の地に牧があったことを示す馬飼い関係の資料や、金の冠などの王の栄光を示す資料、継体天皇に関する資料などを展示します。ぜひ皆さまも歴史民俗資料館で、王を支えた馬飼いの様子を見てみませんか。

広報四條畷 平成27年9月号掲載

歴史民俗資料館