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15. 讃良郡条里遺跡 その2

讃良郡条里遺跡その2、イラスト

今回は、現在発掘調査中の讃良郡条里遺跡の続報を述べたいと思います。讃良郡条里遺跡は、四條畷市から寝屋川市にかけて広範囲に広がる遺跡で、縄文時代から江戸時代まで続くムラのあとです。
調査では、現在の地表面より約2.1メートル掘り下げた位置から奈良時代の銅鏡が出土しました。出土した鏡は海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)という種類の鏡で、直径3.9センチメートルあります。中央に鈕(ちゅう)と呼ばれるつまみのようなものがあり、そこに鈕孔(ちゅうこう)という紐を通すための穴が設けてあります。その周りには獣が四匹描いてあります。その外側には小さい珠点(しゅてん)があって、葡萄の文様の名残と考えられます。

讃良郡条里遺跡その2、写真02

今回出土した鏡の特徴はその直径が小さい点で、これは、この鏡を作る見本となった鏡にあった外側の区画(外区)をこの鏡では削除して、内側の区画(内区)部分だけの鏡として鋳造したためです。日本列島で鋳造した製品と考えられます。このような内区部分だけの鏡は、鏡面等を研磨せず、鋳造したままの状態で出土することが多く、祭祀専用の鏡として作られた可能性が高いと思われます。

讃良郡条里遺跡その2、写真01

鏡は鏡面を上にして出土しました。出土したのは中世以降に土地の高まりが削られた場所で、奈良時代の集落が広がっていた可能性が高い場所です。周辺の遺跡の調査では奈良時代にこの地域で早くから条里制(じょうりせい)と呼ばれる、土地を東西南北に区画する制度が施行されていたことがわかっています。奈良時代にこの地方に都の進んだ制度を施行させた有力者が、祭祀に使用したものであると考えられます。

今回出土したような内区部分だけの小型海獣葡萄鏡は、これまでに全国で11点見つかっています。そのうち7点は奈良時代当時都があった奈良県での出土、残りは埼玉県、石川県、愛知県、兵庫県で1点ずつの出土で、大阪府下では初の出土です。このように今回出土した鏡は、奈良時代に都で行われた祭祀の広がりを考える上で全国でも貴重な資料であるといえます。
歴史民俗資料館では、平成24年10月10日(水曜日)から12月16日(日曜日)まで、「水辺でくらす」と題しまして今回ご紹介した讃良郡条里遺跡に関する特別展を開催します。そこでは今回ご紹介した奈良時代の鏡も展示しています。皆さんも、歴史民俗資料館で奈良時代の祭りについて、実際にそれに使われた貴重な資料から考えてみませんか?

広報四條畷 平成24年9月号掲載