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25. 大上古墳群

古墳の周りの溝の調査状況

古墳時代の中期から後期(約1600から1400年前)にかけて、四條畷では平野地域のほぼ全域で渡来人が伝えた馬飼いが盛んに行われました。
今回紹介する大上古墳群(おおがみこふんぐん)は、その馬飼いの人々が葬られた古墳です。
大上古墳群は、四條畷市大字清瀧にある古墳群です。
そのうち3号墳は国道163号の拡幅工事に伴って調査を行い、古墳に立て並べられていた円筒埴輪(えんとうはにわ)や、表面に葺かれていた葺石(ふきいし)が非常に残りの良い状態で見つかりました。

大上3号墳に立ち並んでいた円筒埴輪写真

この古墳は古墳時代後期(約1500年前)のもので、全長約45メートルの前方後円墳です。
被葬者(ひそうしゃ)が葬られていた棺は削平されていて見つかりませんでしたが、その規模はこの時期としては周辺で最も大きなものであり、馬飼いのリーダーが葬られていた可能性がある古墳といえます。
この時期の馬飼いのリーダーとしては、継体天皇(けいたいてんのう)の即位に尽力した河内馬飼首荒籠(かわちのうまかいのおびとあらこ)などがいます。
日本書紀に載る天皇を支えた馬飼いのリーダーの墓なのかもしれませんね。
歴史民俗資料館では、平成25年10月8日(火曜日)から12月15日(日曜日)まで、「四條畷の古墳時代」と題して四條畷市内の古墳時代の集落を中心とした特別展を開催中です。
そこでは今回ご紹介した大上古墳群の資料も展示しています。
皆さんも、歴史民俗資料館で、四條畷の古墳時代の情景について思い描いてみませんか。

広報四條畷 平成25年11月号掲載