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60. 拠点集落雁屋遺跡の変遷2 弥生時代中期

雁屋遺跡(かりやいせき)は、雁屋南町(かりやみなみまち)、雁屋北町(かりやきたまち)、江瀬美町(えせびちょう)、美田町(みたちょう)にあり、弥生時代(約2500~1750年前)のはじめから終わりまで続く、北河内地域の中心となる拠点のムラです。

 弥生時代中期の雁屋遺跡は、遺跡の全体にムラが拡大し大集落が形成されます。府立四條畷保健所建設に伴う1992、94年度の調査では、中心域となる竪穴建物群を発見し、その一角には中期後葉に特殊な施設とみられる長辺8m以上の大型掘立柱建物があり、直径45cmの柱が抜き取られず残っていました。

 それより南の病院建設による1985年度調査地や、府立四條畷高校東館、理科棟の調査地などでは墓地である方形周溝墓群を検出しており、これらを合わせた集落全体の規模は東西約420m、南北約300mに拡大しました。

 歴史民俗資料館では、令和元年12月8日(日曜日)まで、「重要拠点KARIYA―雁屋遺跡弥生時代拠点集落の変遷―」と題した特別展を開催しています。特別展では、雁屋遺跡が拠点であったことを示す資料を多く展示します。ぜひ歴史民俗資料館で、雁屋遺跡の繁栄を感じてみてください。

広報四條畷LIFE 令和元年10月号掲載

1992年度調査の竪穴建物群の写真

図1 1992年度調査の竪穴建物群

大型掘立柱建物の柱の写真

図2 大型掘立柱建物の柱