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58. 飯盛城跡 その8

飯盛城跡(いいもりじょうあと)は、四條畷市と大東市にまたがる飯盛山の山頂にあり、戦国時代に三好長慶(みよしながよし)が居城(きょじょう)としたことで知られます。彼はこの城を拠点に室町幕府の政治を動かし、近年、織田信長に先駆けての天下人として評価されています。1564年(永禄7年)に42歳で没し、その死は3年の間秘められ、城内の御体塚曲輪(ごたいづかくるわ)に仮埋葬したと伝えられます。

平成30年11月に、御体塚曲輪で発掘調査を行い、飯盛城内で規模が想定できるものとしては初めてとなる建物跡を確認しました。「塼(せん)」と呼ばれるタイルを外壁の基部に並べた「塼列建物(せんれつたてもの)」で、周囲の地形から平面形が4m×6mほどの大きさで、櫓(やぐら)や蔵などの可能性が考えられます。一昨年度の調査では、神社などで類例のある台付きの灯明皿など特殊な遺物がみつかっており、この曲輪には特殊な機能があったと想定されます。今回の調査でここにあった建物のうちのひとつが明らかになり、曲輪の機能を考えるうえでさらなる資料を得ることができました。

7月20日(土曜日)に、市民総合センター市民ホールで、大東市教育委員会と合同で発掘調査報告会「クローズアップ飯盛城2019」を開催します。四條畷市側、大東市側それぞれの調査の詳細な報告に加え、滋賀県立大学教授中井均さんの記念講演があります。飯盛城の最新情報を、城郭研究をリードする大学研究者から聴くことができる貴重な機会ですので、ぜひお越しください。

広報四條畷LIFE 令和元年7月号掲載

塼列建物の写真