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~ひとふでウォーク~No5
ひとふでウォーク5
逢阪清滝峠付近
の
のぼりつめ 清滝峠の 茶屋の跡
貝原益軒は、「山路十八町行て、清滝嶺の茶屋一宇あり、是大坂越の嶺なり」と書いています。元禄の昔に語られた茶屋一宇は、江戸末期まで存在したらしく、古老たちは「おまん茶屋」と呼んでいました。「一度しおれて二度咲く花は、峠おまんさんかビバの花」と、女主人の美貌を語り伝えています。
逢阪清滝峠付近
え
延元の 年月きざむや 逢阪の五輪塔
五輪塔は基部から、地・水・火・風・空輪と名称されます。この塔の地輪部中央には「大坂一結衆延元ゞ丙子三月日造立之」の銘があり、肉眼で読み取れるほどの鮮明さです。高さ180m、古さと美しさで府指定有形文化財に指定されました。1336年の往古を語る供養塔であります。
緑の文化園を抜けて蟹ケ坂(かにがさか)ハイキングコースから権現川に沿って歩きます。逢阪清滝峠からここまで約3.5キロメートル。
権現川
こ
ここかしこ 水車のなごり 権現川
明治初期の大阪府年誌によると、交野のソーメン、茨田の蓮根、讃良の粉箔といわれるほど、この地域では水車を動力として薬種、香料、マンガンなどを生産し、米麦を精白しました。これは昭和20年代まで続きました。
御机神社
ほ
豊作祈願 わが町に三つあり 式内社
延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)は、延長5年(927)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧であります。「延喜式の内に記載された神社」の意味で式内社(しきないしゃ)と云います。平安時代(10世紀)にすでに官社「祈年祭(としごいのまつり)」の奉幣にあずかる神社として認定されており、由緒ある神社として知られていたことになります。句にある「わが町に3つあり式内社」とは、市内の地域に岡山の津鉾(つぼこ)神社=今の忍陵神社、清滝の国中神社、そしてここ御机神社です。豊作を祈って祀り始めたものなのでしょう。
龍尾寺
り
龍尾寺で 雨乞いをする 里の人
「天平の世に干ばつがあり、里の民が大いに苦しみました。奈良時代の僧である行基は、これを憐れんで山間に立って、法華経を誦して雨乞いをすると大雨がいきよいよく降ってきました。龍王が自分の身をさいて里の民を救ったのでありました。そして、その身は三分されて落下したのです。龍の頭と龍の胴は大東市の龍間の地に、尾の落ちた所に龍尾寺というお寺を建てて、その霊を弔ったといいます。」四條畷に残る民話の一つです。
龍尾寺から清滝瀑布へはR163に出てトンネルに向かいます。
清滝瀑布
け
溪流を 集めて落ちるや 清滝瀑布
国号163号に沿って清滝トンネルに向かう少し手前の右側にある弘法大師祠堂から山道を入った妙見の滝を清滝瀑布と云います。滝にうたれて不乱の祈りを捧げ、現状打開の啓示を与えてくれた神々の碑が数多くあります。この滝の周辺集落を清滝と呼び、ここに流れる川を清滝川と名付けられたと云われています。
逢阪の峠から約7キロメートル。
清滝第一トンネル右手清滝川沿い
き
清滝川 大和を結んで 道に沿う
清滝川の源は逢阪の龍王川に発し、流れ流れて中野、二丁通りを経て寝屋川へ注いでいます。この川に沿って、大和と河内を結ぶのが清滝街道です。土地の人は、清滝峠越え大和街道とも、伊勢街道とも呼んでいました。現在、その古道の面影は上清滝集落付近にわずかに残っています。
上清滝コミュニティバス停付近
と
土地の人 みんながうやまう 行者さん
清滝の民家の裏山の祠の中に、役行者の肖像があります。木造作りの漆塗り、右手に錫杖、左手に経巻を持ち、高下駄を履いた姿です。山型の頭布を被り、逆三角に垂れ下がった顎髯(あごひげ)の姿態、高さ80センチメートル、今から280年前ほどにたてられました。役行者は、金峰山(きんぷくせん)、大峰山などを開き修行しました。神変大菩薩の号をうけた役行者は修験道(しゅげんどう)の祖で、天空を飛翔する神通力を得た験者(げんじゃ)として広く尊崇されていました。今でも、岡山行者堂では、4月、9月7日に十数人の山伏が集まり、盛大な護摩供養を行い、村中安全を祈願します。
国中神社
よ
よりあえば 一つの石棺 ここにあり
中野正法寺の本堂前に、長さ156センチ、幅79センチ、高さ40センチの貯水槽があります。これは、石棺を転用したもので、その蓋石は、国中神社南側入口の手洗鉢の背石であることがわかりました。この石棺は、旧正法寺付近にあった双子塚出土のものと伝えられています。
逢阪峠から四條畷中学校まで10キロメートル
四條畷中学校
ふ
ふるさとの
歴史を語る
四條畷カルタ
郷土史カルタひとふでウォークのゴールです。防犯上、四條畷中学校の門は閉じられていて入ることはできませんが、門から立て札を見ることができます。昭和54年(1979)当時の1学年が郷土史カルタを制作し、名所旧跡にカルタの句と簡単な解説をつけた立て札を設置しました。平成26年(2014)、カルタの復刻版を35年ぶりに作成することになり、四條畷市の協力でカルタの刊行と立て札を市内に50基再建しました。カルタの伝承と郷土愛・愛校心が育まれることを願って、『ふるさとの 歴史を語る 四條畷カルタ』と詠まれています。ここに50枚目の句が建立されました。なお、この句に絵札はありません。
郷土史カルタひとふでウォーク 紹介
ひとふでウォークコース紹介
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