ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップ > 組織でさがす > 学校教育課 > ~ひとふでウォーク~No4

本文

~ひとふでウォーク~No4

ひとふでウォークタイトル

ひとふでウォーク

ひとふでウォーク4

田原小学校校門左側

た


田原の里 山ふところに 静かなり

元禄2年(1689)2月11日、田原の里を旅行した貝原益軒は、「おくの谷中七・八町東に行けば、谷の内すこぶる広し、天の川流る。其の里を田原と云う。恰(あたか)も陶淵明(とうえんめい)が桃花源記(とうかげんき)に書けるが如し」と四條畷市域の18.7平方キロメートルの約半分を占めています。田原地区の人口は約9300人です。

次へ

月泉寺墓地

や


山中に 苔むす五輪塔 月泉寺墓地

旧月泉寺墓地は、上田原山中にあって、五輪塔や卵塔が建ち並んでいます。3基の五輪塔がのる土台のすべては、五輪塔地輪の部で築きあげたものです。五輪塔とは、基部から、地(ち)・水(すい)・火(か)・風(ふう)・空(くう)輪と名がつけられています。戦国期、田原の地を支配した田原対馬守一族に縁のある人たちを祀ったものと云います。墓地は新しい道路を横切った所に移設されました。墓地発掘調査のとき、千光寺の瓦や青磁の香炉などが出土しました。また、キリシタン墓碑も見つかりました。青磁の香炉は府の指定有形文化財です。

次へ

千光寺跡移築広場

れ


レイマンの キリシタン墓碑 千光寺跡

寺口遺跡の千光寺跡から、安土桃山時代の石製のキリシタン墓碑を発掘しました。花崗岩で五角形に「十字とH(エータ・イエズス会を示す)」に「天正九年辛巳礼幡(てんしょうきゅうねんかのとみれいまん) 八月七日」(1581)と刻まれています。「礼幡」は、飯盛城主・三好長慶のもとで布教をうけた田原レイマンの洗礼名と思われます。墓碑は、人物が特定できる唯一のもの、日本最古のもので府指定有形文化財です。

次へ

田原城跡

そ


そそり立つ 田原城 門口矢の石隠井戸

上田原地区にある田原城跡です。永禄年間(1558~1569)、田原対馬守は上田原字八ノ坪に拠点をおく武将だったといわれています。天野川上流にそびえ立つ30mほどの田原城は、土居の内とも呼ばれ、土豪武士の居館の名残をとどめます。この句にある門口、矢の石等は城郭用語で城の専門用語です。

次へ田原小学校からここまで約2キロメートル

住吉神社

れの画像1
れの画像2


霊こもる 住吉神社に 石の風呂

住吉神社の創建は江戸初期だと推測されます。祭神は海の神、住吉四神です。淀川、天野川上流にあって、上・下田原村民の氏神であります。境内に安置されている石でできた風呂は、鎌倉時代の作と言われています。神の祭り(祭神時)に、身を浄めるときに使用したものです。天野川付近から出土したものです。府指定有形文化財です。

次へ両国橋からポンプ場が見えます

上田原ポンプ場

あの画像1
あの画像2


天の川 河内大和の 国境

生駒山系東斜面の滴水(したりみず)を集め、田原の里で水系を整える天野川は、磐船神社の秘境をつくり、交野、枚方を経て淀川に注いでいます。この水系は、文明発生地域として重視され、国境となっていました。大和を東田原、河内は西田原、西田原は水系の位置により、上田原・下田原に二分されます。

次へ

正傳寺

ち


地高き里 正傳寺 平安後期の薬師さん

田原の少し小高い所に正傳寺があります。本尊は阿弥陀如来です。田原村民の治病医学の本尊として親しく信仰を集めている薬師さんは、薬壺(やっこ)を持った高さ2メートル、光背2メートル50の背の高い薬師さんで本堂の東側に安置されています。平安時代の作だそうです。

次へ田原小学校からここまで約3キロメートル

法元寺

ねの画像1
ねの画像2


ねがいごと 耳なし地蔵に 手をあわす

下田原地区にある法元寺です。坂を登って左手に耳のないお地蔵さんが祀られています。ここの古い木箱に入っている石をよく見ると穴があいています。耳の病を患った時は、このお地蔵さんにお祈りし、この石を耳にあてると治ると云われています。そして、治るとお礼にもう一つ穴のあいた石を持ってきてこの箱に返すのだと言い伝えられています。

次へ法元寺から旧R163を通って清滝峠に向かいます。ここは歩道がないので降りてくる車にくれぐれもご注意を。

逢阪清滝峠付近

にの画像1
にの画像2


にこやかに 笑みをうかべる 地蔵さん

村はずれや峠の上、家並みや田畑の道筋に数多くお地蔵さんがありました。近代になって多くは祠堂内(しどうない)に祀られるようになりました。右手に錫杖(しゃくじょう)をつき、家を訪れてまで願い事を聞き届けてくださったとの言い伝えです。

次へ

逢阪(コミュニティバス停)

さ


幸多かれと 原始の祈り 巨石につた茂る

逢阪のバス停近くに二つの大きな石があり、太いツタが見えます。3メートルほどの巨石が双立する真ん中に役行者石像が祀られています。巨石信仰の原始の姿をとどめるものと言えます。境域には、数多くの仏さまが建ち並び、その上を蔦かずらがおうて鬱蒼(うっそう)たる趣があります。地元逢阪が大坂の文字で登場して800年以上、その間の聖地であったと思われます。以前、ここに建つ立て札が古くなって字が消えていました。地元の人やここを訪れる人たちの立て札再建の要望がきっかけとなって、全ての立て札を再建する機運となりました。

郷土史カルタひとふでウォーク 紹介

ひとふでウォークコース紹介

チャレンジし易い「市街地コース1.」
市街地コース1

約5キロメートルの「市街地コース2.」
市街地コース2

ちょっとハードな「飯盛山コース」
飯盛山コース

「田原の里コース」
田原の里コース

「逢阪清滝峠コース」
逢阪清滝峠コース

各コースの地図をクリックすると、詳しいコースの案内ページをご覧いただけます。