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~ひとふでウォーク~No3

ひとふでウォークタイトル

ひとふでウォーク

ひとふでウォーク3

四條畷市役所近くの正法寺(中野本町)をスタートとし、飯盛山(315.2メートル)頂上から室池・堂尾池を経由して田原地区共同墓地までのコースです。途中、登山道を上り下りのハードなコースですが、自然を十分満喫できるコースです。消防署から正法寺まで約10分忍ヶ丘駅スタートから正法寺まで約9キロメートル

忍ヶ丘駅から四條畷消防署まで約8.2km

正法寺

ね
つの画像


念仏の 六字名号碑に 手をあわす

カルタの絵札の【ね】が赤字になっているのでもう一枚別の句があります。六字名号とは、「南無阿弥陀仏」のことです。阿弥陀仏に帰依(神仏や高僧などのすぐれた者を信じ,それによりすがること)する意味で、これを唱えれば、必ず極楽浄土にいくことができるといわれています。中野正法寺のものは、江戸期以前の「天文五年」(1536年)で、古墳時代の石棺を利用した石塔です。また、正法寺へ入るところに、小さな石橋があります。古墳時代の石棺の身を転用したもので、その蓋石は境内に立つ六字名号碑、土台の石は石棺の身の一部であることがわかりました。


追善供養 生前に祈る 十三仏

追善供養と詠われた十三仏の云われですが、十三の仏さまは、私たちにもっとも身近で、古くから信仰される13の尊い仏さまです。この世に生きる我々のお守り本尊であると同時に、来世の、つまり先祖供養の仏さまでもあり、年忌の際には必ず御本尊として拝まれています。不動明王(ふどうみょうおう)釈迦如来(しゃかにょらい)文殊菩薩(もんじゅぼさつ)普賢菩薩(ふげんぼさつ)地蔵菩薩(じぞうぼさつ)弥勒菩薩(みろくぼさつ)薬師如来(やくしにょらい)観音菩薩(かんのんぼさつ)勢至菩薩(せいしぼさつ)阿弥陀如来(あみだにょらい)阿シュク如来(あしゅくにょらい)大日如来(だいにちにょらい)虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)です。初七日から三十三回忌まで十三の法要を行います。この法要に十三の諸尊を配したものが十三仏です。

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市民総合センター

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馬の骨 神にささげる 祭祀跡

この近辺の奈良井遺跡から古墳時代の中・後期の祭祀場(馬まつり)が発掘されました。大切な馬を「いけにえ」として神に捧げます。7頭以上の馬の骨、「いけにえ」の代用として、土製人形・ミニチュア土器などが出土しました。石敷炉跡(製塩炉の遺構)、製塩土器、周辺かあら韓式土器などが出土しています。

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たんぽぽ保育園右隣

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天平の 正法寺の灯 今も燃え

旧正法寺(清滝地区)から白鳳に始まり天平を経て室町期に至る遺物が出土しました。瓦片、土器類、井戸跡、柱穴、礎石から推し量って、七堂伽藍を備えた壮大な寺院であったと思われます。西方500メートルの現在の場所に移ったのは天正17年(1589)といわれています。

次へ正法寺から弥勒寺まで 約1.6キロメートル

弥勒寺

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弥勒寺の 舎利吹観音 瘡いやす

句にある瘡(くさ)は、疱瘡、すなわち天然痘です。江戸時代、音羽という名の美しい娘がおりました。村一番の器量よしと評判の娘を、両親は大事に育てておりました。ところが、娘は流行り病の疱瘡にかかってしまい、美しい顔は傷跡におおわれてしまいました。悲嘆に暮れた娘と両親は、弥勒寺の観音堂にお籠りして祈願すると、満願の十日目の夜明けに、もとどおりの顔にもどったのです。お礼を申し上げようと観音さまのお顔を見上げてびっくりしました。観音さまのお顔に舎利(お釈迦さまの骨、転じて米つぶのこと)が吹き出ていたのです。それ以来、誰言うともなく「舎利吹観音」と呼ぶようになりました。

次へ弥勒寺から山頂まで 約1.5キロメートル

飯盛山山頂付近

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飯盛城 拠りて長慶 覇をきそう

飯盛山は、生駒山系より分岐した一本の幹にたとえられて南北1000メートル、西部側は屹立して標高315メートルの山です。戦国時代には、巨大な山城として、豪族たちの拠点となっていました。なかでも、下克上武将として著名な三好長慶は、1560年にここに拠って畿内に君臨していました。

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権現の滝

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礼拝修行 霊験あらたか 権現の滝

権現川の名称の起源となる滝です。高さは20メートル、その源は大東市龍間付近に発し、生駒水系の滴水(したりみず)を集めて市内南東部の渓流となり、寝屋川へと注ぐ河川の上流にあります。権現とは、権(かり)に現れる神を意味するのでありました。昔から多くの修験者(しゅげんじゃ)が祈願をこめた滝であったと云えます。

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室池(古池)湿生花園付近

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うつくしや 古里ほこる さぎそうの花

室池の南方を池に沿って歩いて行くと東屋が見えてきます。その横に郷土史カルタの箱フタに描かれたサギソウを詠んだ句の立て札があります。サギソウは高さ30メートル~40メートル、先に1~4の花をつけ、色は純白で優美、純潔な感を与えます。花容(かよう)が鳥の白鷺に似ていることから、その名があります。現在は、観賞用にも栽培されますが、本来は山野(山野)の湿地帯に自生する夏の花であります。

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室池中堤北側

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室池の 氷たくわえ 都ゆき

室池は、標高272mに開け、砂溜池(すなだめいけ)、中池(なかがいけ)、古池(こいけ)、新池(しんいけ)の4池から成っています。江戸期までは氷室池と呼ばれ、平安の昔には、延喜式に「讃良郡氷室一処(ささらごおりひむろひとところ)」と記されている通り、氷を貯えて京の都へ運ばれて行き、宮廷人が使用するものでありました。

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下田原共同墓地

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六地蔵 二十八ケ所の 墓地守る

田原共同墓地です。墓地の北側に六地蔵と立て札があります。地蔵菩薩の6分身をいいます。生前の行為の善悪のいかんによって、人は死後に、地獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天という六道の境涯を輪廻、転生すると云われています。そのそれぞれに,衆生救済のために配される檀陀,宝印,宝珠,持地,除蓋障,日光の6地蔵をいうのだそうです。死後の守り神として六地蔵を祀るのです。市内28ヶ所に墓地があり、墓地ごとに六石六地蔵、あるいは一石六地蔵を祀ってあります。

郷土史カルタひとふでウォーク 紹介

ひとふでウォークコース紹介

チャレンジし易い「市街地コース1.」
市街地コース1

約5キロメートルの「市街地コース2.」
市街地コース2

ちょっとハードな「飯盛山コース」
飯盛山コース

「田原の里コース」
田原の里コース

「逢阪清滝峠コース」
逢阪清滝峠コース

各コースの地図をクリックすると、詳しいコースの案内ページをご覧いただけます。