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なわて保育士作文コンクール 16年目以上の部 優秀賞受賞作品
太田 香織 (忍ヶ丘あおぞらこども園勤務)
四季折々の自然を感じることができ、地域の方々に温かく見守られながら子どもたちと過ごすことができる。それが四條畷市です。
私は四條畷市で生まれ育ちました。幼少期は保育所に通いましたが、普段の生活から季節ごとの行事、沢山の楽しかった思い出であふれています。卒園する頃にはこんなに楽しい毎日を過ごせるのなら、私も保育所の先生になりたいと強く思い、そのまま将来の夢は変わることはなく、今は保育士として働いています。子どもから大人へと成長するにつれて、子ども時代を楽しく過ごせたのは、保育所の先生方が、安全面に気を配り、子どもたちが楽しく過ごせるように関わり、環境を整えてくれた結果だと知ることができました。私の幼少期を大切に育んでくれた四條畷市で私も同じように、大好きな子どもたちと関わりたいと思い四條畷市で働き始めました。
四條畷市の公立園で働き始めて、もうすぐ20年が経とうとしています。その中で一貫して変わらない想いは、常に子どもの気持ちに寄り添い、今できるベストを尽くすということです。沢山の先輩方と一緒に働いてきましたが、みんな常に今よりも良い保育をと日々話し合い、市内、市外に関わらず研修を受け、お互いに支えあって成長をしていました。そんな先輩方に触発され、私も様々な研修を受け日常の保育の中から、沢山のことを学んできました。
四條畷市の公立園では、育児担当制保育、プロジェクト型保育、ファンフレンズプログラムなどを取り入れ、幼少期に育ってほしい心の根っこ部分を大切にして、保育に取り組んでいます。
育児担当制保育では0歳から2歳児クラスで、初めて保護者から離れ外の生活をする中で、安心、安定した生活を過ごせるように、同じ人が排泄や食事などの生活面に関わります。まずは一対一の関わりを大切にし、信頼関係を育んでいきます。プロジェクト型保育では、日々の生活の中で子ども達の気づき、発見に注目し「こんなふうにしたらどうなるだろう」と、子ども達と意見をかわしながら不思議だと感じた事について、どんどん追及していきます。子ども達が自分から考え動くことで、いろんな力や知識が吸収されるのを感じます。ファンフレンズプログラムでは、子ども達のレジリエンスを育てます。レジリエンスとは、逆境や困難、強いストレスに負けない強い心のことです。強い心とはしなやかでへこたれない心です。ファンフレンズプログラムを行う中で、自分を認める気持ちを育んでいきたいと思っています。
実際に保育をする中で壁にぶつかることもありますが、四條畷市の公立園では、先輩後輩や立場など関係なく、自分の意見を出し、子ども達の様子も共有するので、園全体で子ども達を見守り、育てていると感じます。子ども達が安心して楽しく過ごせる場所、子どもの事を第一に考え日々学び、職員も楽しく保育ができる場所です。私はそんな四條畷市で保育士になることができて本当によかったなと思います。
高橋 梨代 (田原台ひまわりこども園勤務)
私が保育士を目指したきっかけは、小さい頃に弟や従妹が生まれ、世話をしているうちに、可愛さや成長の一つひとつが新鮮で、そんな小さい時期の子どもたちと関わった仕事をしてみたいと思い、保育士を目指すようになりました。そして、念願の保育士になり、四條畷市の田原台ひまわりこども園とご縁があり、今では十八年目になります。
実際保育士になり働き出すと、思っていた以上に大変で、毎日があっという間に過ぎました。保育士になりたいと思っていた時に想像していた仕事とは違ったので戸惑いもありましたが、子どもの成長を肌で感じたり、保護者からの感謝の言葉などで、とてもやりがいを感じられる仕事だなと思っています。自分が好きな仕事でやりがいが感じられるなんて幸せなことだなと、感謝の気持ちでいっぱいです。四條畷市の保育園を選んだきっかけは、通っていた大学の先生の勧めもあり、まだ新設園で、建物はなかったのですが、何度か園の雰囲気を見学しに行き、その中で四條畷市の生駒山の麓という環境にも魅力を感じました。近くの山々を見ると、木々の色合いから四季が感じられ、また緑が多いので空気が美味しく感じられました。こんな環境なら、子どもたちが伸び伸びと成長することができるだろうなとワクワクしたのを覚えています。
環境もとてもいいのですが、四條畷市では保育士に対しての様々なサポートをしてくださっており、実際自園のスタッフも利用させていただいている支援もあります。産休・育休取得のしやすい環境、保育士宿舎の借り上げ費用の支援、最近では奨学金の返済費用の支援など、保育士が働きやすい環境をたくさん提供してくださっています。コロナウイルスの流行時も園を開けていたことで感謝金などもいただきました。実際私も、産休・育休制度を活用させていただき、とても助かりました。
また、ステップアップ研修という保育士のスキルアップを目的とした無料の研修が年五回ほどあり、講師の先生を招いて研修も受けさせていただいています。この研修内容もすごく充実していて、いつも勉強になっています。研修内容を考えてくださっている担当の方も、私たち保育士のことを考えながら選んでくださっていると思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。
このようなサポートのもと、私は田原台ひまわりこども園で十八年間も保育士を続けることができています。よく考えたらすごいことだなと思います。たくさんの失敗や成功を繰り返しながら、ここまで来ることができました。これも海老名園長先生と出会ったご縁もそうですが、四條畷市での様々なサポートがあったからだと思っています。
保育士という仕事は、小さい子の世話をするお姉さんではなりたたず、知識も必要で、大変なこともある仕事ですが、子ども一人ひとりの成長や、行事、卒園した子どもたちが会いに来てくれたりと、やって良かった、ここまで成長を保護者の方と共に見守ることができて良かったと思える、本当にやりがいのある仕事です。今、私は働いて十八年目ですが、まだまだ子どもたちの成長を新たに発見しながら、初心の気持ちを忘れずに、子どもたちと共にさらに成長できるように頑張っていきたいと思います。
山中 薫 (四條畷すみれ保育園勤務)
「先生、一緒にあそぼう!」と、小さな手で私の手を引く子どもたち。その笑顔にたくさんの幸せをもらってきました。四條畷で保育士になって十六年。生後二カ月の小さな赤ちゃんから、小学校入学前までのたくさんの子どもたちに出会ってきました。
保育士とは、小さな命を預かるとても大切な仕事です。毎日の生活の中で、子ども達が自分一人でできるようになることのお手伝いをします。子どもは自分の力で生きていくすべを身につけていくのです。大人が手を出しすぎてもいけませんし、放っておいてできるようにもなりません。やってみたい、面白そう、と思えるように、保育士がいろいろな工夫をして保育しています。
例えば、もうすぐハイハイしそうな赤ちゃんが、手を伸ばして取ろうとしているおもちゃを、届くところに置くのではなく、少し先に置くことにより、赤ちゃんは自分の体を使って精一杯手を伸ばしてつかもうとします。また、少し大きくなると、大人がすることを真似るようになります。できないからダメではなく、やっていることをよく見せて、失敗してもいいからさせてあげることも大切です。
三、四歳くらいになるとよくおしゃべりができるようになります。子どもたちにとって保育士は不思議な存在のようで、よくいろいろな質問をされます。「先生にはお母さんいてるの?」とか「先生、どこでバイトしてるん?」とか、遠足のお弁当の時に「全部食べたら言いや。イチゴあげるから」と言われたこともあります。そんな風に友だち感覚なんだなぁ、と思うこともあれば、絶対的な信頼をよせてくれていると感じることもあります。
そして一番大切なことは子どもたちの安全です。どんな時も、怪我が起きないようにいつも子ども達から目を離さず、環境にも十分気を配ります。
また、子どもの様子を見て、体調の変化にも注意しています。この他にも、毎日のお掃除や記録、行事の準備など、たくさんの業務があり決して楽な仕事ではありません。
ではなぜ、続けてこられたのでしょうか?それは頑張った分だけ、いいえ、それ以上に子どもたちからたくさんの贈り物をもらっているからです。抱っこをせがんで甘えたり、かなしいことがあると、全力で泣きながら駆け寄ってきたり、うれしいことがあると、飛び切りの笑顔で教えてくれたり、そんな子ども達の姿に毎日触れることができる仕事は他にはありません。
最後になりましたが、四條畷市の良いところは、地域の方々との交流があり、気軽にご近所の方が声をかけてくださること、保護者の方がとても協力的であること、卒園生がいつまでも忘れずに訪れてくれるところです。こんな素敵な保育の仕事をこの四條畷市であなたも一緒にしてみませんか?
西岡 恵 (田原台ひまわりこども園勤務)
私は保育士になって、十八年目を迎えます。こんなに長く勤めることになるとは正直思っていませんでした。
立ち上げだった田原台で、一年目に二歳児を担任させてもらいました。私は子どもが大好きで保育士を目指しました。でも、現実は子どもが好きなだけでは務まらず、子どもたちに「あつまれー」っと言っても集まらず、気付いたら噛みつきが起きたり、保護者の皆さんにはこんな若い子に大切な子を預けるのは不安と思われていたことだと思います。私が今三児の母になり、子どもを保育園に預けて仕事するようになり、自園だけではない、子どもの園の先生たちとの関係もできてきた中で感じるのは、やはり大切な子どもを預けるので、目線も鋭くなります。とても良い園に預けさせてもらっていて、子どもたちも毎日元気に通い過ごしています。色々な立場からの目線で園のことを考えると、田原台ひまわりこども園の良い面や頑張らなくてはいけない面なども見えてきて、保育者として、母として、主任として、たくさんの感じ方を日々持って過ごすことができています。
保育や子育ての中で、悩むことがとても多く、園の子どもだと、例えば、なかなか友だちとうまく関われず、すぐに手が出てしまう子や集中してお話が聞けず、集団生活が苦手な子など本当に一人ひとり違いがあり、その子たちをクラス単位でまとめていく大変さは毎日の先生たちの体力の消耗は恐ろしいぐらいすごいと思います。また母としては、三人の子どもを育てるのに悪戦苦闘です。こんなに伝えていくのは大変か?と思ってしまうぐらいで、日々忙しく過ごす毎日です。
正直、なんでこんなに仕事や家事など頑張っているのだろうと思ってしまうぐらいの日々ではありますが、ここまで頑張れるのは、やはり子どもたちの笑顔です。これはすべてをクリアにしてくれるぐらい、最高のパワーがあります。子どもたちが笑って、園で話をしてくれたら、可愛くて仕方なく、我が子のように愛おしく思います。疲れた体でお迎えに行くと、我が子も満面の笑みで迎えてくれて、癒しでしかありません。これで私は仕事を続けることができています。
また、四條畷という地域の良さもとても感じています。四條畷市の皆さんは働いている市がよくなっていくように、とても熱い気持ちがある方が多いなと感じていることがあります。私は子育て関係機関連携会議や子ども・子育て会議に参加させて頂いているのですが、各施設が集まり、現状や課題を話し合い、市の子どもたちのため、働く職員のために話し合いが行われています。それだけではなく、いつも園長先生方がたくさん働く保育士のために、何かできないかと考えてくださっているのが伝わり、その中からできあがった対策で宿舎の借り上げ制度や奨学金返済制度など、働く保育士のために少しでも負担をなくせるようにと色々と考えてくださっています。これからもそれは続きます。これから働く人、保育士を目指している先生方は安心して、四條畷市で働いてみて欲しいなと思います。私もこれから、まだまだ子育ては続きますが、園の子ども、我が子、そして、働くスタッフのみんなのために自分ができることをしっかり考えて、ちょっとでも貢献できる保育士になっていこうと思います。
池田 薫 (認定こども園畷すずらん保育園勤務)
私は今年で保育士として働き始めて四條畷で16回目の春を迎えました。16年前の春、ほとんど来たこともない、馴染みのない四條畷で私は保育士として働くことになりました。きっかけは学生時代の恩師が私に言った「君の家なら電車一本で行けるやろ?」の一言でした。私も保育園からの求人票の地図を見て「四條畷って『いちろくさん』(163号線)が通ってるんや。車でも行けるやん!」が第一印象。実は私の家は京都の端っこにあります。家からは京都→奈良→大阪と三都物語をしながら毎日通勤しています。とは言っても片道30分程度、意外と近いんです。そしてこの30分は私には、とっても程よい時間なのです。独身時代はプライベートと仕事の気持ちの切り替えの時間に、育休から復帰してからは束の間の一人きりの時間。この片道30分間が新卒の時の私にも、今の私にも、とっても大事な時間になっています。四條畷を勤務地に選んでよかったと感じることの一つです。
今は0歳児クラスの担任をさせてもらっています。私にとって学生時代からの憧れであった赤ちゃんのお世話をしています。0歳児クラスと言うと生まれて初めて家族から離れる生活という子がほとんどです。初めは泣いてばかりの子が多いのですが、少しずつ園生活に慣れ、ふとした瞬間から遊べるようになる姿には毎回、驚かされ、子どもが持つ大きなパワーに感動しています。たった1日でも著しく成長する子どもの姿を毎日、近くで見ることのできる保育士という仕事は本当に素敵だと感じています。
働き始めた頃はこんなにも四條畷で長く働くとは思っていませんでした。(初めは自分でも遠い勤務先と思っていたので。)1年目に担任した1歳児さんは高校2年生…とても早いです。車で通勤していると卒園児さんを見かけることも増えてきました。こちらに気づかない子、会釈をしてくれる子、「池田先生やーーーん」と大きく手を振ってくれる子、いろいろです。その大きくなった姿を見ることができるだけで、同じ土地で長く働いている特権だと嬉しく思っています。また、ふとすれ違う子どもの大きな成長を見て、保育士としてのやりがいを感じさせてもらっています。保育士の仕事は楽しいことばかりではありません。今まで辛かったこと・悔しかった事も沢山ありました。時には「保育士なんて辞めてやる!」と泣いたこともありました。けれども、いろいろ言いながらもこれだけ働き続けられる職場、私にはちょうどよく働きやすい職場なのだと思います。きっとこれから先も、私は京都から四條畷まで通い続けることになるでしょう。
また明日からも保育士頑張ります!