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なわて保育士作文コンクール 11年目~15年目の部 優秀賞受賞作品
柳 冴香 (小規模保育所「○」(まんまる)勤務)
振り返ると、初めて四條畷市の幼稚園に来たのは、十五年前の実習生の頃。隣の市に住んでいますが、どんな所かはあまり知らず、実習に来た時は、山が近くて緑が多いなという印象でした。素敵な先生との出会いがあり、のびのびしている園の保育が好きで、ここで働きたいと思い、試験を受け、ご縁があって就職することになりました。
四條畷市の魅力は三つあります。
一つ目は環境です。コロナウイルス感染症の流行に伴い、現在は園外での活動は難しいですが、以前は自然が身近にあることで、園バスや交通機関を利用して、園外散歩で自然に触れることが出来たり、子ども達と園周辺を散歩する中で、季節が感じられたりすることも子ども達にとってとても良い環境だと感じています。
二つ目は、近隣の方々。我が子を預けていた保育園では、周辺のマンションからの苦情で、流す音楽は小さな音量で。運動会の鼓笛隊の練習も本番と同様の形で行えないという状況で、子ども達がかわいそうだと感じていました。しかし、私の勤めている園周辺では近隣の方の温かさを感じています。いつも子どもたちの好きな音楽が園庭に流れていたり、行事に向けての稽古も本番通りに行え、園庭での行事も楽しめています。
三つめは保育士支援策です。ここ二年はコロナウイルス感染症に対して、不安を抱えながら仕事をしている毎日ですが、感染予防に対して市からの支援をして頂いています。支援はとても有難く、マスク・消毒液だけでなく、小さな子ども達が常に触れる玩具等の殺菌も行えるようになりました。日々、予防の徹底に努めながら、子ども達のために頑張らないとと、奮い立たされる思いです。また、市が行っている(いた)様々な研修では、学びの場に参加することで、日々の慌ただしさの中、落ち着いて考えたり、大切なことを改めて実感出来る場になっています。様々な講師の先生から学んだことを、保育に生かして、自分自身の保育の質の向上に努めています。私は対象外となりますが、資格取得の際の奨学金の返済費用の補助があるということも、今の私にとってとても魅力的です。経済的な負担が軽減されることはとても有難く、保育士を目指す娘が資格を取得することが出来れば、ぜひ四條畷市で利用したいと思っています。
保育士という仕事は体力勝負。楽しい、可愛いだけではない大変なことも沢山あります。ですが、生活の中で、日々子ども達の成長を間近で見守り、感じたことを共有したり、出来ることが増えた等と、一緒に喜び合いながら過ごせることはとても素敵な仕事だと思っています。純粋で素直な子ども達の笑顔や言葉は、癒しであり、温かい気持ち、愛おしい気持ちになります。
私は、これからも大好きな自園で、四條畷市で、保育士として誇りをもって勤めていきたいと思います。
中田 由紀子 (岡部保育所勤務)
子育てが落ち着いた40代から四條畷で保育士として働き出し、10年が経とうとしています。最初は慣れない事やわからない事が不安でしたが、たくさんの方に丁寧に仕事を教えて頂きました。仕事は、忙しいと言えば忙しい!大変と言えば大変ですが、何でも話せる職員の方々に恵まれ楽しく続けられています。
毎日、朝おはよう!!と1日が始まると、あっという間に1日が終わっています。(笑)
保育所には0才から5才児まで産まれてからの成長や変化が一番大きく大事な時期に、私たち保育者よりも長い時間を過ごす子もいます。年齢によって違いますが、子ども達と過ごす中には、言葉が話せるようになった、鉄棒が出来るようになったなど目に見える成長もあれば、毎日登園時に泣いていた子が、今では「いってらっしゃい」と笑顔で母を送り出す姿があったり、例をあげればきりがありませんが、子どもの育ちたいという力はどの子も素晴らしいものがあります。少しでもその手助けが出来れば、又子どもたちの今が幸せであるように全力で保育に取り組んでいます。
四條畷ではプロジェクト型保育の実践をしており、市のホームページでも見られるように、ドキュメンテーションを作成し可視化しているのですが、写真やその時の様子、子ども達から出た言葉や発見した事などを記録する事によって保護者と子どもの成長を知ってもらえ、一緒に喜べる事も幸せに感じており、四條畷の保育の特色であると共に、私にとっても忙しさで忘れてしまいそうな子ども一人一人の成長をドキュメンテーションがある事で振返ったり、子どもの興味や関心にアンテナを張れる様になり、子ども達と共に学べるきっかけになっています。
毎年、あっという間の1年間の中にたくさんの喜びがある仕事です!もちろん悩む日、失敗して落ち込む日、同じ色の日はありませんが、そんな時もサポートして下さるまわりの先生方に助けられ、元気になれます。
四條畷で保育士として働き出してから、今日と違う明日にワクワクする気持ちが、未来を担う子ども達と過ごせる中に生まれてきます。
コロナ禍の昨今、人と関わる事が難しくなり世の中が大きく変化してしまいましたが、私にとって人と繋がり人として成長できる保育士として働ける空間は全ての感情を含めてステキな空間です。
乳幼児期は子ども達が全部覚えていなくても安心して過ごせる場所でたくさんの人に愛されて育つ事が、将来の人間性を育んでいると確信しています。
子ども達は毎日パワー全開!!こちらが元気をもらっています。これからもたくさんの笑顔が見られるように頑張りたいと思っています。
チーム畷の保育士さんが、更に増える事を願っています。
長澤 麻衣 (田原台ひまわりこども園勤務)
私の小さい頃の夢は、“保育園の先生”でした。幼稚園の時の担任の先生のことが大好きで漠然とこんな先生になりたいという思いがありました。そこから小学校、中学校とその想いは変わらず高校では保育コースにも進み、いつでも「先生になりたい」という想いを持ち過ごしてきました。短大も保育の短大に進み私の「先生になりたい」という気持ちは日々大きくなっていきました。ですが私は一度、「先生になりたい」という夢を諦めてしまいたいと思ったことがありました。それは、短大を卒業する前の就職活動の時でした。たくさんの園を受けましたがどこも落ちてしまい、私は、私を採用してくれる園はないと想い、もう先生にはなれないと落ち込んでいました。すると短大の担任の先生が「あなたにも必ず運命の園があるから大丈夫。」と声をかけてくれました。私はその言葉を信じてまた頑張ろうと思いました。そんな時、先生から「ここに見学に行ってみたら?」と勧められた園が、四條畷市にある社会福祉法人恵由福祉会田原台ひまわりこども園(当時は保育園)でした。半信半疑で園の見学に行くと、第一印象は園舎がキレイでした。外観だけではなく保育室もとてもキレイでウキウキしました。お話も聞かせて頂き、先生たちもとても元気いっぱいで魅力的でしたが、私はまた落ちるのではないかと不安で迷っていました。ですが、担任の先生からは、「迷っているなら受けて、落ちたらまた考えたらいいよ。」と言われて受けることにしました。試験も難しく、面接でもうまく受け答えができなかったので、また落ちてしまったと思っていました。ですが、見事合格しました。無事に夢だった先生になれると、とても嬉しかった事を今でも鮮明に覚えています。そこから私の先生の生活が始まりました。
先生の生活は楽しい事ばかりではなく、大変な事、しんどい事もたくさんあり何度もくじけそうになりました。ですが本当に子どもたちが可愛くていつも勇気をもらっていました。私は働き始めてから乳児クラスを持つことが多く、2回目に持った4歳児は初めての一人担任で毎日が目まぐるしく過ぎて行きました。子どもたちと共に成長した日々でした。そして5歳児のクラスも持たせてもらえることになり、より深い一年間となりました。至らないことも多く保護者の方々にたくさん迷惑もかけてしまったのにも関わらず、卒園式の時に「先生で良かった。ありがとう。」という言葉を頂きました。その言葉は今でも私の力の源になっています。小学校になっても何かあるたびに園に顔を出してくれた子どもたちは、小学校の卒業式の日には、「クラスの子たちみんなで卒業しました。」と顔を見せてくれてとても感動しました。今は中学2年生になりましたが、今も変わらず会うと色々な話を聞かせてくれる可愛い教え子たちです。田原台地区は、認定こども園、小学校、中学校がそれぞれ一つずつです。卒園してもみんな顔見知りで今では中学校3年生から小学校1年生までの子どもたちみんなのことを知っています。こども園、小学校、中学校との繋がりをとても大切にしていて、卒園した後の子どもたちの様子も知ることができて嬉しく思います。
保育の仕事は決して楽しいことばかりではありませんが、子どもたちの頑張っている姿や卒園して元気にしている姿を見るとまた頑張ろうと思えます。15年前、“先生になる”という夢を諦めなくて本当に良かったです。短大の先生の言葉を信じて、運命の園があると想い就職活動を頑張って良かったです。田原台ひまわりこども園という園に出逢い、子どもたちや保護者の方々、そして指導もたくさんされますがいつも私のことを温かく見守ってくださる先輩の先生方や同期、後輩の先生たちに出逢えたことが私の人生の大きな財産となりかけがえのない宝物となっています。15年前の私が今の私を見たら驚くかもしれません。でも何事も諦めずに頑張れば未来は開けるのだということを伝えてあげたいです。これからも、「先生になりたい」と思った気持ちを忘れずに子どもたちと共に成長し続けていきたいです。みなさんにも、運命の園が絶対に見つかりますよ。