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本文

学校沿革

学校の創設

四條畷市は、昭和40年代の高度経済成長期による都市集中化に伴い、人口が急増しました。そのため本市は、大阪市のベットタウン的性格の都市化が進み、昭和44年四條畷南小学校の創設以来、同46年四條畷西小学校、同48年忍ヶ丘小学校と続き、本市で第6番目の学校として、昭和49年4月1日四條畷市立四條畷小学校より分離して、本校の創立をみるに至りました。

校区

本校の校区は、田原地区を除くと飯盛山山麓で、本市の東南部を占め、東は飯盛山に至り、西はJR学研都市線と旧高野街道を隔てて四條畷南小学校校区に接し、南は四條畷神社参道を境として大東市と接し、北は国道163号線を境として、四條畷小学校校区に接するほぼ長方形で、南野一丁目から南野六丁目、塚脇町、中野一丁目5番7号から17号まで、大字南野の各地域。

校章

校章の画像

昭和49年11月6日制定

村上妙子氏作(一般公募)

 全体の形で「東」を表し、大空に向かってはばたく平和のシンボル「鳩」を表現しています。また、下部は「小」を画き、中心の部分は「くすの葉」で四條畷市の市木を表現しています。